『猿楽』
東豊沢の集落から国府の西部中学方面へぬける峠道があります。右手の高い山が茂松城趾です。峠付近の地名を猿楽といい、むかし、元弘元年(1331)赤坂落城の後一時行衛をくらましていた楠正成が関東の敵情を探るためここにやってきて、家臣恩地左近太郎に猿廻しをさせ正成は袋をかついで舞いおどり従来の人に見せたとのことです。
また、三河雀などが伝えるところによれば大恩寺近くに猿楽という砦の跡があり、むかし延命権兵衛という猿楽師が永禄6年(1563)大恩寺へ塩浜の寄進をした文書が残っていますが、それらのことら猿楽と呼ばれるに至ったものかとも言われています。
『竜が滝』
金野字国坂の山岳から湧出する水が源となって御津川が起りました。むかしは、この上流に女性的な一条の滝がありました。昭和12年ごろ町助役であった渡辺徳次氏が我が御津町にもこんな美しい滝があるのを知らんでいてはいけないと若い町職員を教育してくれたものでしたが、今は昭和42年ごろにできた開発道路にわざわいされたのでしょうか、惜しくも水量を減じかつての威容はなく滝も数条に分れて細くなっています。
滝つぼ近くに祭られた不動様は戦時中出征軍人の無事を祈る家族の人たちのおこもりでにぎわいましたが、それも昔語りとなりました。今はこの不動様も、大正時代に建てられた観音様とともに昭和55年2月もう少し上の道路曲がり角に移転されています。あいともに霊験きわめてあらたかで静かな山中に1点景を添えております脱俗の聖地として江湖に推賞したいと思います。羨望絶佳をほこる仲仙寺の奥の院は、さらにもう少し上ったところの山頂にあります。五井山の無線塔もすぐ近いところです。
広報みと:❺文化財 昭和56年6月15日号より