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御津町商工会

⑭ 『西宮の傘松』

萩原73.png左衛門尉芳信卿が、萩原神社のご祭神であるということや、その経歴についてはたびたびこの広報に書きましたが、芳信卿が御堂山にある丹野城から下山して戦い、赤根の備後林において自匁して果てられた。
それぞれの広報記事を参照していただくこととしまして、さて、芳信卿が埋葬されてある場所といいますのは西の宮といってこの傘松のすぐ隣りあわせの松林の中に、石のほこらがあるのがそれです。
この傘松は、芳信卿の愛馬を埋めたところといわれています。目通りの太さは周囲が3.18メートルもあり、形状はほんとうに傘をさしひろげたようになっていて、枝は四方に垂れ、道路をこえて隣りの耕地にすすみ地上に接し、一旦地にふれた枝の先は、ちょうど蛇が鎌首をもたげるように再び反転して斜めに上空に向って伸びております。耕地の所有者には大変ご迷惑をかけているわけですが、昔からこれを伐るとたたりがあると恐れられており、数多くの経験者もあることであって、どうすることもできません。赤根の神社のご祭神に深い因縁のある遺物でありますのでうかつに取除くなどということもできません。これは、氏子の方々が善処せられ、ご祭神のご満足を得られるよう心掛けられることがよいことだと思います。

          広報みと❺文化財 昭和54年8月15日号より