太平洋戦争が間もなく終わろうという昭和20年8月7日豊川海軍工廠は米軍B29爆撃機延べ120機の攻撃により1537発の爆弾に見舞われ壊滅的打撃をうけました。
この工廠を守備する大恩寺山と権現山にあった海軍の高角砲陣地は、昭和18年11月ごろ完成しました。当時、御馬の渡辺富松氏なども現場監督として地元の人たちと工事に従事したといいます。大恩寺山の頂きには航空灯台がありましたがこれを撤去して山頂をけずり3ヵ所の高角砲砲台を設けました。これを守るのは横須賀海軍警備隊大恩寺山砲台第66文隊で、最後の隊長は井上徳治海軍少尉でした。中央砲台の広報に亀の甲のような形の高い石垣を約20メートル積みあげた所に砲の指揮兵器として測距儀などの装置がおかれていました。また、40センチ探照灯を丸山と御津南部小学校の東南地点及び山頂に配置し、ほかに見張所なども設けられ、また泙野の山口智代治氏宅の西約100メートルの赤根字神場127番附近に兵舎を建て110名位が駐留し、内部は兵室浴場庖炊室機械室等にわかれていました。今の河原町助役も役場吏員としてよくこの兵舎へ書類を届けに行ったとのことです。高角砲は陸軍では高射砲といいますが、左右両端の砲台に各一門がおかれ中央の砲台は予備のものでした。射程距離は水平射撃の場合12500メートルで上空へ向けた場合には8000メートルに達し得たとのことです。この日、B29は高度12300メートルで飛来し西方に近づいたとき10000メートルに降下しさらに9000メートルになったので一番機に射撃を加えたが敵の一部は御油駅や西方に250kg爆弾38発を投弾しました。このとき8000メートルに迫った一番機に命中させたとのことです。井上隊長は山頂から下にいた岩堀氏を呼び、あれを見よというので西方の方をみると土煙がもうもうと立ちこめて町並みは少しも見えなかったそうです。以上は井上隊長と岩堀勇主計兵曹から伺った直話です。井上氏は群馬県多野郡出身で赤根在住でしたが昭和55年2月20日79歳で亡くなられ、岩堀氏は駅前で藤屋精肉店を営みお元気です。