奈良時代よりもう少し古いころの寺院址らしいのですが、一切の沿革は明らかでなく、その位置もはっきりしていませんが、西豊沢から金野に通ずる旧県道を北上しますと、林道開鑿記念碑がありそこから左折して西へ進み、山に突当たってから麓に沿って西豊沢の方へ2~300メートルもどったあたりの畑一帯が弥勒寺という字名になっています。ときどき、耕地から古い瓦片が掘り出されることがあり、日本考古学協会員の芳賀陽氏の話では白鳳期のものだとのことです。東金野の岡田一吉さんが瓦片をもっていて中央公民館へ寄付してくれました。
東豊沢の東の山を越えると豊川市の西部中学が見え、その裏手に山入遺跡があり、2~3年前この近くで寺院のものらしい同じころの瓦が沢山出土しています。
記念碑はなくとも、文書はなくとも地名が歴史を物語ってくれることはよくあることで、弥勒寺という小字名があったおかげで、古代の寺の名が後世に伝えられました。古い地名は必らず拠りどころがあって付けられたものですから、大切にしてゆきたいものです。
広報みと:❺文化財 昭和54年2月15日号より