大恩寺は浄土宗に属する三河地方の巨刹である。はじめ、新宮山上にあって浄光院と称したが、後に大運寺となりさらに大恩寺となった。これは徳川家康の叔父の成誉上人、また五代前の親忠の五男超誉上人、この二名がここで落髪し修行をした由緒があり、徳川家にとって大恩があるということで、広忠によって改名されたものである。
牛久保城主牧野氏の菩堤所であり、この念仏堂は天文22年(1553)牧野出羽守保成、牧野右馬允成守等が建てたものである。もと、方三間の建物であったがここに移築するとき方五間に改めたということである。天井の格子間には牧野家の三ッ柏の紋、菊花紋等が画かれている。お厨子の鯱と三花懸魚とは我国最古のもので、室町時代の末期における建築彫刻の発達過程を物語るもので、やがて桃山時代の豪華な様式を生むもととなった頃の作品である。
これほどの建造物も、大正初年の本堂再建工事のときには大工部屋に充てられたという無茶なこともあった。また、江戸時代半ばころ、屋根に瓦を使うこととなったために、長年の重量にたえかねて屋根の端しがぶざまに垂れ気味であったが、昭和28年の解体修理には瓦を廃して元のとおり桧皮葺きに改められ、一段と姿が美しくなった。このときの工事費は国費350万円、県費75万円、町費45万円郡内他町より30万円、その他有志者檀信徒の寄付等を合わせて計550万円で完成をみたのであった。
念仏堂の本尊阿弥陀如来は恵心僧都の作といわれ、高さ53.3センチ、元禄6年(1693)大垣の殿様戸田禾女正が家臣藤井六兵衛を使いとして金百両とともに寄進したものである。
広報みと:❺文化財 昭和52年6月15日号より