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この塚は、泙野の紫橋から50メートルほど西方の蜜柑畑のなかにあります。むかしはこの辺まで潮が満ちてきていたとみえまして、御津神社のご祭神が舟に乗って伊勢の方からお出でになり、ここに上陸せられてお沓をぬがれたところと言い伝えられています。 このとき、大塚の人が早速とれたばかりの烏賊を差し上げたことから、のちになって御津神社のお祭りを烏賊祭りと呼び習わすことになりました。紫塚のあるところの小字名「紫」がいつしか「村崎」という漢字にすりかわったのと同じく、この「沓脱(くつぬぎ)」というべき字が「楠」に変化しました。 広報みと:❺文化財 昭和55年11月15日号より