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御津町商工会

◇『岡本賢次氏の義太夫節語り』

75.png義太夫というものは人形浄瑠璃や歌舞伎劇になくてはならぬものでありまして、その独特の節調や我が国の国民性に合った内容には捨てがたい味わいがありますが、惜しいことには、近時他の芸能に押され気味であるのは何故でしょうか。恐らく古語や難解の字句、節まわしの取りつきにくさなどが災いしているのではないでしょうか。
我が岡本賢次氏は、義太夫の名手として広く名を知られており、明治40年生まれの72才ですが、若いころは銀行に勤められ、後には町収入役、町議会議員、区長、漁業会長、農業委員などを歴任して公共に尽され、今なお元気はつらつとして義太夫への情熱を失わず、現在では60種に近い曲目に習熟しておられます。最も得意とするところは「松王下屋敷」「千代萩御殿の場」「安達三」「太功記十段目」とのことです。義太夫に興味をもつようになったのは、大きな声を出せば肺活量を増やし健康によいと思ったからとのことです。今の愛知御津駅前市川商店の東に倉庫があって隣りに下佐脇出身の竹本紀之太夫という人の稽古場がありここに入門することになりました。当時の月謝としては台本1枚(二ページ)につき15銭という定めで、1枚といっても字が大きく平均して150字くらいです。1晩1時間くらいをかけ約5枚を教わり、1日か2日置きに通って約一ヵ月で1冊の台本を卒業したとのことです。教え方はきびしく、あるときは「こんなセリフがやれんのか」と机を叩いて叱られたこともあり、いや気がさしてしばらく休んだら先生は叱らなくなったが今にして思うと、叱られたときの方がよくおぼえられたと苦笑いされました。現在は市川少女歌舞伎に属して東京や岐阜に巡業し、また京都、大阪、高松等の高校の依頼で実演し学校の教材研究に貢献し各地の老人ホーム等を慰問するなど月のうち10日位は費されるとのことです。ますます健康で斯道に精進されんことを念願します。

          広報みと❺文化財 昭和54年10月15日号より