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御津町商工会

㉒ 『飯盛塚・紫塚』 『竜光寺』

87-1.png泙野の西うらに老木の茂る塚があります。これが飯盛塚で、土地の人は「ゆきもり」と呼んでいます。奈良時代に御津山の竜光寺沢に住んでいた飯盛長者というのが、何不自由なく暮せる身分でありましたけれどもある日愛児の死にあい、それから夜毎戸外に子供の泣き声が聞こえてくるので出てみると紛れもなく我が子の泣き声でした。夫婦は毎日身も世もなく泣き暮らしました。それで、泣野という地名ができたといわれていますがそれは後の話で、ちょうど、その折りの諸国行脚中の行基菩薩が通りかかり、夫婦の悲しみにこたえて観音像を刻んで与えられたのを本尊としまして竜光寺を建て、我が子の菩提を弔いました。
そして、紫塚というのは長者の妻の紫姫を埋葬したところで泙野の村87-3.png落の南端にあります。87-2.pngこれは、故意にさわると病人が絶えないなどの不幸が生ずると恐れられ、関係者によって手厚くお祭りされております。また、泙野には川尻婆とか泙野の怪火という鬼火が出没したということが、江戸時代の郷土史書、三河二葉松などに紹介されていますが、怪火は夜間ゆきもり塚の辺りから出遊して紫塚より基塔寺を経て御津川の川尻に向かいましたので川尻婆などといわれたと思います。基塔寺というのは紫姫の菩提寺といわれますが、今は跡方もなく紫塚の南方一帯に基塔寺という小字名といえば紫という文字が現在は村崎という字に変っております。

          広報みと❺文化財 昭和55年10月15日号より