当寺は広石字後畠7の1にあり、ご本尊は観世音菩薩です。延宝5年(1677)の創立で開基は向誉伝意和尚です。本堂庫裡は明治七年(1874)5月の建築でしたが、今回2つとも昭和60年8月4日新築落成いたしました。建坪は約18坪です。祭壇上には本尊様始め、弘法様、阿弥陀様等8躰の仏像がまつられています。この寺は開基の伝意和尚の隠棲所として建てられたものと伝えられます。境内等は観音教会が所有管理しており、宗教活動のかたわら広国など近所地区の公会堂として利用されています。住職は大正寺の小笠原鳳瑞師が兼務しています。
ながらく連載いたしました寺院の歴史も以上をもって完結いたしました。ご愛読を感謝申し上げます。また筆をあらためお目にかかることとします。
61.5.29 町史編さん委員 大林正己
追記 郷土の伝説 金割石 (金野2)
この伝説は昭和50年7月号の「広報みと=地名のいわれ」のところで簡単な紹介をしたため重複をさけ、昭和52年5月号伝説集の部で記載すべきを見合わせ省いてしまいましたのですがやはり均衡上追記を適当と考え掲載いたしました。
むかし、西塔の武蔵坊弁慶が陣鐘にしようと思って、三河の国文寺にあった梵鐘を持出して、西の方へ一里半ばかり離れたところの山村まで運んできたところ、急に鐘が「国文寺恋し、国文寺へいのう」と鳴いたので怒った弁慶は傍らの岩に打ちつけて破壊した。そこでその村を鐘破村と名付けたという。(現在は金割といい、明治11年に金割と灰野とが合併して1字ずつとり大字金野となった)その鐘を破った岩を金割石といい、村名の起源にされたが、ただいま適当の多きさに小さくして金割の氏神である熊野神社の境内に移し社標の台石にしてある。
広報みと:❼文化財 (寺) 昭和61年6月15日号より