小規模事業者の活躍を応援します。

御津町商工会

⑰ 安泰山『海元寺』

133-1.pngこの寺は御馬字東36に所在し、山号は安泰山といい臨済宗妙心寺派に属し、中本山は嵩山の正宗寺でしたが、むかしは交通機関が発達せず、豊川などが氾濫すればたちまち交通が途絶してしまい、川向うの正宗寺とは連絡がとれず葬式などの場合困るので、末寺ではあっても単独で導師がつとめられるように承認されていました。ほかにまた、便宜上、曹洞宗東漸寺檀家の人を東漸寺に対し取次ぎも行われているとのことです。
本尊様は行基作といわれる地蔵菩薩ですが小形のため、祖円首座のとき大きく地蔵様を彫りその胎内に納められています。天文8年(1539)の創立で開山は功巌和尚でうす。境内には長沢松平家に関係のある11代松平直信の墓があり、戒名は威光院殿魯軒三休居士で、また松江市郎右衛門の子息竹之助の墓と直信の室であった松平忠輝の女で昌寿院殿嘉室妙慶大姉の墓がありこの人は元禄2年(1689)に亡くなっています。さらに、天林□□大姉という墓と合計4基の墓があります。直信については昭和55年7月号広報に載せておきましたので省略いたします。寺の過去帳には松平家に属するあわせて13名の戒名と続柄、氏名が明記され、また家臣として伊藤正栄と平松弥兵衛の2名も記録されています。平松氏は享133-2.png保2年(1717)に亡くなりこの人は可然と号した学者でした。こういうことから当寺には葵の紋の使用が許されていました。境内には再興に力のあった妙縁によって嘉永3年(1850)に建てられた西国33番の観音堂があります。寺には寺領として3反3畝余の田畑がありましたが戦後の農地解放で失いました。8月17日には観音講がつとまり福引などの余興でにぎわいます。なお当寺は東三河三六ヶ寺地蔵尊の詠歌第28番の札所であって「のりの江に潮満ちぬらし海元寺寄せくる波の音ぞたえなる」の詠歌が伝えられています。現住は安泰完洲氏です。
                     
       広報みと❼文化財 (寺) 昭和59年8月15日号より