字観音堂78に所在します。観音堂という地名もこの寺に由来していることでしょう。曹洞宗に属し東漸寺を本山とします。山号は円通山といい、また楠があるので礼樹山ともいわれます。開山は、東漸寺6世長翁安盛和尚で中村存毛が慶長元年(1596)に開基したと伝えられます。
本尊は観世音菩薩で、何観音様であるかは秘仏でわかりません。ある書には千手観音とも出ています。
町内でこの寺が著名であるのは、天然記念物の大楠と千体地蔵様があることですが、大楠は町指定文化財になっており、昭和9年3月に県係官の調査があり、目通り2丈7尺5寸(8.33m)根廻り4丈6尺5寸(14.09m)地上より第1枝まで1竹7尺(5.15m)樹高約6丈(18.18m)東西南北の枝針各6丈6尺(20m)と結果がメモされています。これは小栗鉄次郎氏が来寺したものです。小栗氏はこの外、河原田遺跡や薬師堂また、山口兵衛家の古文書(500~600年前のもの)等も調べたわけです。
さて、もう一つ、千体地蔵様については寺に記録が見当らず創設時期が明らかでないのですが、古老の言によれば昭和初年に中村十郎、中村和一氏ら檀家の主だった人々が発起し、檀信徒こぞって親戚知己をたずね、お地蔵様1体につき金1円の寄付を求め、東は豊川市二葉、千両、樽井、長草、西は大塚、牧山、南は前芝、川崎方面、北は御油、国府また名古屋、岐阜、岡崎、豊橋市など41ヵ所の町や村まで寄付を募って歩き主な村には世話人を依頼して集めました。
当寺にはまたお賓頭盧様の木像があり、自分の病めるところを撫でれば治してもらえる仏様です。
境内は250坪(墓地を除く)と狭いのですが、庚申像、金比羅社、蚕玉社、行者様を祀る小堂、西国三三所観音堂やまた牛馬の無事を祈った馬頭観音堂もあります。明治十九年の寺籍調査表によれば寺領として田1反7畝余、畑1反1畝余、山林3畝余を有しましたが、戦後農地解放により山林を除く外は壇徒小作人に開放されました。境内には菩提樹の古木があります。
広報みと:❼文化財 (寺) 昭和58年4月15日号より