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御津町商工会

① 宝珠山『常光寺』

116.png所在地は字屋敷18の1であって山号は宝珠山といい曹洞宗に属し伊奈の東漸寺の末寺です。創建の年代は明かでありませんが、大正2年第6世住職宇井伯寿(大正10文学博士)から提出された寺詩によれば天文年中(1532-)高安太益和尚によって開かれたとし、また第7世高柳義範が大正11年に出した報告によれば永禄年間(1558-)東漸寺5世大休全徹和尚によって開創されたとしています。宝飯郡詩によれば天正2年(1574)高安太益和尚中興開基としてあるので大体このころに創立されたものと思われます。
ご本尊は延命地蔵菩薩であり極めて霊験あらたかで言い伝えによると、本堂前の道を横切る馬上の人は必らず下馬して通っていたのをある武士が馬に乗ったまま通過し落馬して大けがをしたことが再々あったとのことで領主になった大岡越前守は本堂前参道に架けられた石橋を幾分斜めに架けかえるよう示唆したのでそうしたところ、一応参道が曲線となったため以来落馬のたたりはなくなったという話を老人から聞いています。お地蔵様は参拝の諸人に対し安産と心見の強健をかなえ、病難を除き、延寿と智慧の増進、財産の増加五穀豊穣等10種の功徳を垂れ給うといわれ、文政3年(1820)竜拈寺26世彭仙和尚(同年73歳で没)が吉田近辺36等の地蔵順礼歌を設定し1番の東漸寺より始まり豊橋周辺を経て36番白鳥法雲寺で終る地蔵巡りを盛んならしめました。道程10里28丁で信心をかねた手頃のハイキングコースといえます。当時はその33番札所で「明かに照らす仏の常光寺頼みて出でよ暗き闇路を」という歌になっています。境内には目通り137センチの梛の古木四本があります。(本堂左方樹木)明治12年の調査によれば境内1087坪(内やぶ三畝余)の外寺領として田5反8畝余畑4反4畝余ありましたが戦後農地解放によりほとんどを失ないました。むかしは寺子屋もあって明治30年70名の筆子たちが師匠宗道和尚のために建てた墓があります。

       広報みと❼文化財 (寺) 昭和58年3月15日号より