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御津町商工会

⑨ 大正寺

61.jpg当寺は浄土宗寺院で山号を西方山といい、創立は永正3年(1506)。開山は明蓮社聖誉智徳長栄和尚で、引退した大恩寺の住職が隠居寺として入っていました。また、本尊の阿弥陀如来は観音・勢至両脇侍と台座で連結した優れた作です。
幕末から明治にかけ寺子屋が開設され、第19世の神尾成倫が師匠として読み書き算盤を15名くらいの寺子に教えましたが、明治5年38歳のとき、学制実施に伴い寺子屋は廃せられることになりました。
明治以来本堂を村役場として供用し、また村のあらゆる祭祀用仏具仏像などを境内におさめ、総安置の寺として利用され、昭和59年4月、広石公民館ができるまで広石の公共、公会の用に供されてきました。
本堂内の将軍地蔵は作例の少ない甲冑姿で、寺伝によると長慶天皇の守本尊であったとされます。また延命地蔵は天和2年(1682)の銘がある厨子に納められた特色ある半珈像です。
当寺は「吉田近辺三十六ヶ寺地蔵尊詠歌」に第31番札所となっていて「からださ山とのぼりておがめみ仏の誓いはことに広石の里」という御詠歌が記されています。からだ山とは伽羅陀山であり地蔵菩薩の住処のことです。
前住職小笠原鳳瑞氏(平成3年1月没)は若いころ時事新報記者として活躍、また二・二六事件で有名な「今からでも遅くはない。すぐに帰ってこい」という兵に告ぐの文を草した大久保弘一中佐と心安く、その執成しで華北に軍属従軍したとのことですが、応接間には交友の広さを物語る作家・詩人佐藤春夫の絵や『大菩薩峠』の中里介山の色紙などが掲げられています。

       みと歴史散歩❷古道に沿って 平成12年2月発行より