昭和5年7月13日に、大恩寺(御津)山の南中腹に御津山遊園地が開かれ、その中心として大恩寺にあった毘沙門様を祀ったのが多聞閣の由来です。
毘沙門というのは、仏土の四方を守護する四天王のうち、北方に配置される多聞天のことです。それが独立の場合は、毘沙門天と名が変わるわけで、国土安全、五穀豊穣に霊威を顕わすといわれます。
当所の本尊は勝敵毘沙門天と称えられ、家康の祖父、松平清康の念持仏でした。各地に神出鬼没の奮戦を続けた清康は、天文4年(1535)12月に織田信秀を攻めようとして守山に軍を進めたところ、誤解から陣中で部下に殺されました。これが世にいう守山崩れですが、時に清康25歳でした。その守り本尊が、遺言によりその子広忠から大恩寺に寄進されていたわけです。
この昆沙門様を中心とする遊園地は、飛行機型の遊歩道を作り、尾翼に当たる所に本尊を奉安し、そこから麓に向けて階段を設けて胴体部とし、その左右に細長い広場を造って主翼としたのです。夜間は飛行機の形が映し出されるように細かく電燈を配置しました。
桜の木も植えて当時としては景観整備も進み、飛行機公園と呼ばれるようになりました。
かつては、例祭には芸者の手踊りや花火で賑わい、毎月3日の祭りには、大恩寺住職による商売繁昌、家内安全の御祈祷もあって、多くの参詣者があったそうで、今の閑静さが倍じられません。
みと歴史散歩:❷古道に沿って 平成12年2月発行より