灰野村の本郷は、峠を越して東海道の御油宿に通ずる位置にあり、30余の人家が、この社を中心に群がっていました。その産土神として、5男3女神を祀るのが八柱神社です。
住民は昭和34年頃までに、御津川沿いの山麓へ全戸移転してしまいました。
「奉新造立八王子一宇棟札社内安穏所、祢宜大桑権兵衛願主竹内七兵衛同姓加兵衛大工御津村小野田次兵衛葺師赤坂町大桑庄兵衛遷宮師財賀寺勧学坊遍祐」という棟札に、万治元年(1658)の年号があります。
当社創立以前は、赤坂・長沢とともに、宮道天神社の氏子であったと伝えられます。
御本殿は、江戸初期の様式を伝えているそうです。また、拝殿にある八柱神社の額は、大正7年春、高橋是清翁の書かれたものです。翁はニ・ニ六事件の際に凶弾に倒れた時の大蔵大臣でした。境内には、ケンポナシという、当地方では珍しい木がありましたが、近年に至って枯れてしまいました。
【灰野坂】峠は、灰野坂といって、馬頭観音の石像が祀られています。旅人や、牛馬の安全を願ったもので、今もお参りがあり、お花が供えられています。
道も狭まり、草に覆われていますが、かつては、県道豊川蒲郡線として、大津屋の味噌や醤油を運ぶ運送馬車なども、よく通ったそうです。
みと歴史散歩:❷古道に沿って 平成12年2月発行より