御祭神の太田神は、猿田彦命の子孫に当たり、皇大神宮の祢宜である宇治上公家の先祖です。垂仁天皇の御代に、倭姫命が、天照大神の御霊代である神鏡を奉じて伊勢へ来られたのをお迎えして、五十鈴川の畔の今の皇大神宮の地へ御案内した神として知られています。
古老の言い伝えでは、承応年間(1652~)10月28日、水のしたたるような美しい童子が現れて、「この森に祠を建てて、私を祀れば、お前達を無病息災とするばかりでなく、子孫も長く栄えさせてやろう。私に祈願する者には必ずその望を叶えさせてやる。決して疑うな。我こそは道祖神である。」と言い終えて西の方へ消えました。早速小祠を建てたところ、霊験あらたかで、信者で賑わいました。
当社はまた、古来塞神ともいわれ、貞享4年(1687)の棟札に「奉造立道祖身御神小社観音寺村惣氏子息(災)大工御油町五兵衛」と記されています。村境に立って邪悪の侵入を防ぎ、道行く人を災難から守る神として、古来から尊崇されていたのです。
境内には、東金野同志会によって整備された藤棚に侮年美しい花が咲きます。
宮路山へは、この附近から登ると5分程で頂上に達することができます。
みと歴史散歩:❷古道に沿って 平成12年2月発行より