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御津町商工会

㉛ 座王神社

85-2.jpg神社を中心としたる宝飯郡史』によれば、御祭神は国常立尊です。この神様は、天地をお開きになった最初の方です。もとは青木山の中腹に祀られていました。
創立は、天明元年(1781)といわれ、棟札には、「奉造営座王権現棟札一宇村中安全守護所灰野村祢宜大桑善右衛門」と書かれています。蔵王権現の本社は、吉野山にある金峯神社で、桜の木で権現の尊像が刻まれているので、里の人が桜の木を大切にしたため、花の名所になっているようです。
座王神社の拝殿は、明治24年に、本殿は同45年に再建されました。

【共有山分割記念碑】 座王神社の入口にこの記念碑が建っています。
金割村、灰野村にあった共有山は、広石村外十か村の入会権が認められていました。寛文9年(1669)この権利の争いに関連して広石村庄屋・組頭の平野源蔵と竹本庄右衛門の両名が、道を距てた青木の地で打首の刑になりました。
それ以後、明治27年まで度々争いが生じましたが、この年に共有山を各村に分割する盟約が結ばれ、解決したので、記念にこの碑が建てられました。広石の大日墓地に平野・竹本両氏の墓があり、御津神社境内には、昭和五八年に顕彰碑が建てられました。

【寒佐神社】 御祭神は天押雲命で春日若宮と思われます。山林の荒廃を防ぐため、天正5年(1557)に山頂に建てられ、後に旧八幡宮の跡地に移され、「奉勤仕若宮大明神本地天押雲命天神地祇 神主大桑与兵衛大工木村角右衛門 寛文11辛亥年(1634)1月吉日三州宝飯郡灰野村」と書かれた棟札があります。
本殿は貞享4年(1687)に造営され、明治21年に寒佐神社と改称、大正7年に雨覆の鞘が作られました。6人の氏子で護られていましたが、昭和63年に現在の境内に遷されました。

       みと歴史散歩❷古道に沿って 平成12年2月発行より