当寺は浄土宗大恩寺の末寺で、山号を灯明山と称し、本尊は千手観音です。寺伝によれば開基は飯盛長者、開山は行基菩薩で、『三河国宝飯郡誌』によると天平年中(729~)の創立で国分尼寺と号したとあります。その後乱世で荒廃しましたが、明応9年(1500)善誉清欣が再興したのを機に、昔竜神が寺の杉に献灯して不滅の光を放っていたとの伝承から竜光寺と改称したと言われ、当時寺は竜光寺沢の名が残る場所にあったと伝えられます。
明治40年に、何本も点在したあべまきの大樹の間に、白壁の目立つ本堂と庫裡が建立されましたが、伊勢湾台風で被災し現存の小規模な建物に改築されました。
なお、『泙野村誌』に「古へ竜光寺ハ泣野ノ地ニシテ」と記され、また『御津山誌』の大恩寺末の項に「泙野村竜光寺御免屋鋪(中略)寛永13年(1636)子ノ九月」とあり、往昔は泙野村であったことは明らかです。
昭和5年御津山遊園地の開設とともに毘沙門天多聞閣が建立され、その参道の開さく工事と、同9年遊興施設や貸別荘などの開業に伴う水道管布設工事の際に、幣しい数の五輪塔や一石五輪塔等が竜光寺沢付近から出土し、久しく路傍に放置されていました。
今は僅かにその一部が山中に残存するに過ぎませんが、当寺が屈指の古寺であることに併せて往時の繁栄が偲ばれます。
みと歴史散歩:❷古道に沿って 平成12年2月発行より