古来白山妙理大権現として崇められてきましたが、この神は、白山比眸神と云われ、伊弉諾尊と伊弉冊尊とが黄泉平坂で争われた時に現れた神で、石川県の白山比咩神社を本社としています。明治初年に白山神社と改め、祭神は伊弉冊尊であります。
天武天皇の御子草壁皇子が亡くなられて宮路寺に葬られ、兵火のために寺が全焼し、附近一帯が焼野原になってしまったので、灰野村という地名になったと伝えられています。
神社の境内に大きな五輪塔が残されているのも、こうした由来を物語るものと思われます。
境内にある御水垂の井は、毎年1月7日未明に清浄な水を神前に供え、五穀を供えて、朝八時に祭事を行い、この水を井に注ぎます。参拝者がこのお水をいただくと、乳の病を癒し、乳の出がよくなると信じられています。
当社の天正3年(1575)の棟札には、「奉上葺権現宮社安穏郷内繁昌所神主宗右衛門大工御津平左衛門」と記し、裏に三州観音寺郷と記されています。拝殿の地形下から鰐口や古瓦が出土しましたが、盗難等のために、現在はありません。また、観音寺関係の棟札も保存されています。
宮路山への登山道を辿る中腹に祀られ、古い由緒の偲ばれる宮居です。
みと歴史散歩:❷古道に沿って 平成12年2月発行より