小規模事業者の活躍を応援します。

御津町商工会

⑭ 万葉遺跡 二見道

67.jpg妹もわれも―つなれかも三河なる二見の道ゆ別れかねつる  高市連黒人

(妻も私も元来一身同体であるからであろうか、この三河の二見の道から別れなければならないのに別れかねているのであるよ)
この二見の道については諸説があって、二見というのは地名であるとも、また、東海道から分岐する別街道の名であるともいわれますが、今は後者の解釈が定説のようです。その地点については豊川市の御油町から姫街道が分岐する所であろうというわけです。しかし、元愛知大学長の久曽神氏は藤川・赤坂・御油を連ねる今の東海道は、後世のものであって万葉時代の東海道というのはこれではなくて、承平年間(931~938)に完成した『和名紗』にでている宝飯郡の項に形原、赤孫(赤日子)、美養(三谷)、御津と書かれており、これらを結んだ線が往古の東海道と考えられるとの説を発表されています。
それによりますと、古東海道は海づたいに三谷から御津に入り、広石を経て国府方面に向うのですが、一方において勧学院という古寺跡のある五井方面から国坂峠に出る別街道が東下してきて広石に入り、交差するところが夫婦の別離した二見道であろうと推論されています。すなわち、浄宝寺の西の旧道にあたりますが皆さんはどうお考えでしょうか。

       みと歴史散歩❷古道に沿って 平成12年2月発行より