旧今泉医院建物をあとに北へ進み200m行くと、大きい通りに出る。ここを右折し200m進んだ左手に西方古塁跡がある。
天正18(1590)年の徳川家康の関東移封で吉田城には池田照政が入ることとなり、こにより東三河地方は家康から照政に領主がかわった。照政は領内の各地域を分割して家臣に統治させ、御津地域は森寺忠勝による統治が行われ、西方古塁跡には忠勝の居館があった。かつてこの居館は東西330m、南北220mもあったというが、現在では堀の一部にその名残りを留めるのみである。森寺忠勝は元織田侶長の家来で、小牧・長久手の戦いでは犬山城代を務めたという人物でもある。
豊川の歴史散歩:❸小坂井の町から御津へ 平成25年10月発行より