長松寺を出て南西方向に進む小道を200m行くと、県道367号に出る。ここをそのまま真っすぐ道なりに250mほど進むと、音羽川に架かる御所橋がある。この橋を渡り川沿いに下流へ進むと、持統上皇行在所伝承地がある。
持統上皇は、日本の古代史上最大の内乱である壬申の乱を制した天武天皇の皇后で、天武天皇死去後の六八九年に皇位についた。持統天皇は、天武天皇が進めてきた政策を引き継ぎ、飛鳥浄御原令の制定や藤原宮の造営などを行い、697年に軽皇子(文武天皇)に天皇の位を譲った。上皇になった持統は数度旅に出向くが、生涯最後の旅の地として、大宝2(702)年に三河の地を訪れた。三河には伊勢から船で移動し、御津に上陸したと考えられている。御津町には持統上皇の旅にまつわる伝承がいくつか伝えられているが、この場所周辺には持統上皇の行在所(天皇が外出した時の仮の御所)があったと伝えられる。この周辺には宮浦・御所・膳田・都などの字名がみられるが、これは行在所伝承にちなんだ地名なのかもしれない。また地元の人々は、持統上皇の行在所伝承地を信仰の対象とし、御所宮を設け崇敬していたという。現在この宮は、佐脇神社境内に移され(佐脇神社摂社五社宮本殿)祀られている。
持統上皇は三河に一ヶ月あまり滞在したが、史書等にはその目的や動向が記されていない。これについては諸説あるが、三河における古代史上の最大の謎ともいえるであろう。
豊川の歴史散歩:❸小坂井の町から御津へ 平成25年10月発行より