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御津町商工会

⑬伊奈城跡

121-1.jpgお松見から北に向(かう道を500m進むと、伊奈城趾公園がある。この公園は、伊奈本多家の居城であった伊奈城跡に設けられた史跡公園である。
伊奈本多家は藤原鎌足を遠祖とし、藤原兼通から14代目の助秀が本多を姓にしたという。その嫡男助定は、建武3(1336)年に足利尊氏が大宰府で兵を挙げるとこれに従い功労があったので、尾張国の横根・粟飯原の地を与えられた。助定の三代後の定忠は、嫡男定助と15世紀の中頃に東三河の伊奈村に来て、この地を拠点とし伊奈城を築城したという。伊奈城は上嶋城ともよばれ、16世紀初めに牧野一門が城主となっていたことが知られるが、天正18(1590)年に本康俊が下総国(千葉県)小篠へ移封されるまでの百数十年間、伊奈本多家の居城であった。

伊奈城跡の発掘調査
東漸寺の「伊奈城之図」によれば、伊奈城は三方を河川と深田に囲まれた構造で、舟運にも恵まれていたようである。廃城後、開墾等により土地が改変され往時の状況は失われてしまったが、北側の土塁が残っており、今なお城跡の名残りを留めている。
この城跡では、平成6年に公園整備事業に先立って発掘調査が行われ、新たに多くのことが分かった。主郭東口付近の堀は、築城時に深田などの自然地形を利用したようで、堀の中からは東口の左右を守るように逆茂木(敵の進入を防ぐための木を使用したバリケード)が検出された。また主郭北側の堀では、その中央に畔状の高まりが検出され、二重堀のような構造であることが判明し、城を守る上で様々な工夫が施されたことが明らかとなった。上塁内部においても、建物の礎石や火葬施設、井戸などが検出され、遺物としては蝋燭立てや短刀などの金属製品、漆器の椀、土器、陶磁器などが出土し、当時の状況を知る上で多くの成果が得られた。

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伊奈城趾公園は、花ヶ池公園とともに、伊奈城主本多家に関する史跡を活用した公園として、平成7年に整備された。公園内には木造のやぐらやステージがあり、公園入口にある池は、かつて城の堀が存在した場所に設けられている。毎年10月の十三夜前後には、伊奈史跡保存会によって、伊奈本多氏をしのぶイベント「月見の宴」が開催される。

    豊川の歴史散歩小坂井の町から御津へ 平成25年10月発行より