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御津町商工会

⑩東漸寺

116-1.jpg舞々辻をあとに北へ250m進むと、小坂井西小学校がある。その角を西にまがり200m行くと、東漸寺参道入口の前に出る。
山門をくぐって先に進むと、大きな本堂が見えてくる。東漸寺の始まりについては、次のような話が伝えられている。.
むかし、前芝村に東漸寺という真言宗の寺があったが、廃寺となり延命地蔵尊を祀る小堂だけになった。ところが津波によりこの地蔵尊が伊奈の地に流れ着いたので、村人はこれを崇め祀っていた。第3代伊奈城主本多正時(泰次)は、明応元(1492)年にこの地蔵尊を本尊として堂を建て、知多緒川の乾坤院の亨隠慶泉禅師を開祖とし、萬年山東漸寺と名付け、本多家先祖累代の菩提寺とした。
その後、第8代伊奈城主本多康俊は、徳川家康の関東移封により天正18(1590)年に下総国(千葉県)小篠ヘ移り、そして三河国西尾城主を経て、近江国(滋賀県)膳所藩主となった。以来本116-2.jpg多家は、膳所藩主として明治の廃藩まで存続するが、藩主の参勤交代の際には、必ず赤坂宿から東漸寺へ家臣を遣わして代参させるなど、伊奈の地を離れても菩提寺への信仰は変わらず続けられた。境内の墓所には、伊奈城主歴代の墓所であった舞々辻から移された初代から5代までの墓碑が祀られており、伊奈本多家ゆかりの寺であることをしのぶことができる。

伊奈城之図【市指定有形文化財】(見学できません)
15世紀の中ごろ、本多定忠・定助父子によって築かれたとされる伊奈城は、天正18(1590)年に本多康俊が下総国(千葉県)小篠へ移封されるまでの百数十年間本多氏の居城であった。この「伊奈城之図」には、本丸をとり囲む土塁や堀、大手門と東西の門、矢倉台などのほか、城の周辺の様子が記載されている。
三方を河川と深田に囲まれ、城下まで舟が入るという舟運の便の良い地であることも分かる。廃城後に作成されたものではあるが、当時の伊奈城の概要を知ることができる貴重な資料である。

東漸寺のタブノキ【市指定天然記念物】
タブノキは、シイとともに照葉樹林の代表樹であり、海岸近くに多くみられ、いわゆる鎮守の森にもよく大木として育っている。東漸寺には、本堂裏の墓地南側及び墓地内に2本のタブノキがある。墓地南側のタブノキは樹高20.5m、墓地内のタブノキは樹高14mである。前者は東漸寺の森の中でもひときわ高く、自然樹形を保っており、地上約1.5mのところで幹が二股に大きく分かれている。また後者は、細かく枝分かれしているのが珍しく、傘をかぶったような樹形である。

五輪塔彫刻のある石碑
東漸寺の墓地には、五輪塔が彫られた珍しい2基の石碑(卒塔婆)がある。青っぽい色の緑泥片岩製のもの寛永3(1626)年、もう―つの花崗岩製のものには寛永20(1643)年の銘がある。

    豊川の歴史散歩小坂井の町から御津へ 平成25年10月発行より