佐脇刀祢太夫の墓をあとに県道364号を西へ500m行き、正眼寺方面への小道を右に入る。200mほど行ったつきあたりの交差点付近は住宅街であるが、この辺りにかつて佐脇城があった。この交差点を左折した50m先にある下佐脇ちびっ子広場には、佐脇城跡の碑がある。
佐脇城は、いつ誰が造ったのかよく分かっていないが、15世紀後半には史上にあらわれ、この周辺を根拠地とした佐脇氏に関係すると考えられている。戦国時代の永禄5(1562)年には、西の松平元康と東の今川氏真との攻防は激しさを増し、佐脇砦は八幡砦(八幡町)とともに今川方の前線基地であったという。その後、両氏の間では数度の攻防が行われるが、松平方の東三河平定の過程の中で両砦は松平方の手中に収まることとなった。城跡の南東400mほどの市場という場所に、長篠の合戦で討死したという佐脇刀祢太夫の墓があるが、刀祢太夫は佐脇城最後の城主と伝えられている。佐脇城跡は、今では住宅街となり城跡の遺構は残されていないが、周囲を流れる水路がその堀跡の名残りを留めている。
豊川の歴史散歩:❸小坂井の町から御津へ 平成25年10月発行より