伊奈城趾公園をあとに東へ進み、新幹線をくぐり左にまがると花ヶ池公園に出る。花ヶ池は、徳川「葵の紋」発祥にまつわる場所であり、以下のような話が伝えられている。
徳川家康の祖父松平清康は、三河統一を果さんとして享禄2(1529)年に吉田城を攻めた。当時の伊奈城主本多正忠は、清康に味方して先陣となり吉田城を攻略し、さらに田原城攻めへ向かう途中、清康を伊奈城へ迎え、勝ち戦を祝ってお酒を献じもてなした。その際、正忠は城内の池からとった水葵の葉に肴を盛って差し出した。これは中国の古典『春秋左氏伝』に書かれている「明らかな真心あれば谷や沼の水などでも神や王公に捧げ潔さと忠誠心を表す」と云う教訓に倣ったものである。清康はこの心づくしに大変喜び本多家の立葵紋を望み求められたので、正忠は潔<承諾したという。この水葵をとった城内の池がこの花ヶ池と伝えられる。
それ以降、立葵紋は松平清康の家紋となり、岡崎の随念寺にある清康の肖像画にも、立葵紋が描かれている。その後、この立葵紋は徳川家康の代に本多家との話し合いの上、葉の部分をデザイン化して、三つ葉葵紋になったと伝えられる。
豊川の歴史散歩:❸小坂井の町から御津へ 平成25年10月発行より