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御津町商工会

⑦ 十王堂

上佐脇村の岩瀬113.jpg五郎八は、十王堂の建立の願主となり、人々に喜捨をお願いしていましたが、実現しない中に貞享3年(1686)に亡くなってしまい、西光善入大徳とおくり名されました。2年後に十王堂が完成しました。安永4年(1775)に庄屋の岩瀬清助が願主となり、他の村役人とも話し合って、金10両でお堂を改築しました。
明治初年の廃仏毀釈のとき、近くに住んでいた、桑野善五左衛門、岩瀬庄次郎、同権右衛門、竹本善右衛門の四名が、お堂を買い取り、さらに明治9年に村有に移りました。
堂入口の2本の向拝柱の礎石に、「遣骨が埋めてあるから、石の壺を取ってはならぬ」という意味の銘があります。大正8年改築の際は、224円、昭和53年には、260万円ほどを要しましたが、これを大字と地元とで分担しました。近頃ではお寺の付属でない十王堂は珍しくなりました。

七とこ十王参り
初盆のある家では、盆の15日の夜中に、近在の十王様を7か所お参りして、亡き人の供養をするならわしがあります。上佐脇の十王堂、下佐脇の正眼寺、御馬の浄楽寺、西方の忠勝寺(爆撃で地蔵様のみ)、泙野の松林寺、大草の広済寺、広石の大正寺、金野の円蔵寺仲仙寺に閻魔大王などの十王が祀られています。

       みと歴史散歩❸音羽川の周縁 平成12年2月発行より