小規模事業者の活躍を応援します。

御津町商工会

⑱ 海会寺

当寺は山号を134.jpg景福山といい、ご本尊は観世音菩薩で、臨済宗妙心寺派長松寺の末寺です。
開基は聯室祖芳和尚で、104代後柏原天皇の文亀年間戸(1501~)のことで、戦国時代のさなかでした。
この後柏原天皇のご辰翰が幡豆郡吉良町の花岳寺にあり国重文になっています。この花岳寺と海会寺とは縁が深く、そのことは花岳寺の古文書に明らかです。
第9泄天岩祖和尚のとき文政10年(1827)9月、失火により本堂・庫裡が全焼してしまいました。和尚は責任を感じ直ちに再建に力を注ぎ、三河各地を托鉢してまわり、集められた喜捨金など60両をもって見事に寺を復興させました。
それから160年後の昭和58年に現在の本堂が再建されましたが、文政の火災に奇しくも運び出されたご本尊を移したところ、高さ5㎝ほどの胎内仏が発見されたとのことです。
明治32年に住職の祖孝禅師が、渥美郡7根村から霊験あらたかな子安地蔵尊を勧請しお祀りしたところ、ご利益いちじるしく、8月24日の命日に4年毎のご開帳が行われ、戦前には福引や村芝居などがあってにぎわいました。女性の信者が多く、願意を表すために髪を切って束にしたものを奉納し、多いときは20束ぐらいもあったということです。

       みと歴史散歩❸音羽川の周縁 平成12年2月発行より