当寺は山号を義良山といい、ご本尊は阿弥陀如来で浄土宗鎮西派大恩寺の末寺ですが、もともとは大恩寺の説教所であったといわれています。
創立はいつのころか分かりませんが、寛永13年(1693)の大恩寺の末寺調中三六か寺のうちには載っていません。しかし、追記末寺名のところには出ています。また、竹本祐治氏所蔵文書の元禄6年(1693)、庄屋六左衛門と清右衛門とが領主松平和泉守の家臣と思われる大塚伝右衛門に差し出した口上之覚には「当村蔵春庵代々浄土宗御津大恩寺末寺(後略)」と記されているので、このころには寺があったわけです。
ご本尊の阿弥陀如来の両脇には善導大師と法然上人とが侍立しています。また、脇壇には霊験あらたかな延命地蔵菩薩が祀られ、子授け地蔵、長寿の地蔵として名高く、文政3年(1820)に制定された吉田近辺三十六地蔵尊詠歌の第27番札所として
とことわに春を蔵せる寺なればみのりの花の何時もたえなる
とうたわれています。8月23日、4日の縁日には法要が行われ、戦前には福引や浪曲などがあってにぎわいました。
戦後間もなく寺名が蔵春寺と改称されました。寺には檀家らしいものはなく、鎌田嶋の寺ということです。
みと歴史散歩:❸音羽川の周縁 平成12年2月発行より