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御津町商工会

⑰ 佐脇城跡

佐脇城は133.jpg現在の朝日食品(旧丸上跡)の敷地にありました。この城は、南北朝のころから史上にあらわれ、佐脇氏がここを本拠としていたようです。その後、奥平氏がこの地方に勢力を得ますと、佐脇氏はその配下に属したとみられます。『寛政重修諸家譜』には「佐脇の主、生田主計等、貞久(奥平)に属す」とあり、このときの生田氏は佐脇氏のことを指しているのです。
やがて奥平氏が他に移りますと、永禄4年(1561)ごろ今川氏の武将板倉重忠等がここを占拠しました。ところが間もなく岡崎の松平氏(のちの家康)に奪われたのですが、その松平氏は地元の西三河で一向宗の反乱が起き、主力をそちらへ向けているうちに、また、今川氏に奪取されました。しかし、その後松平氏がまたまたこれを奪いかえしました。松平方の最後の城主であった佐脇刀祢太夫は、奥平氏に従って長篠の戦いに加わり討死しましたので、廃城となりました。城跡の南東400mほどの馬市場というところに、佐脇刀祢太夫の墓といわれている石塔があります。佐脇城は『日本外史』やいろいろの郷土誌では「佐脇八幡の両砦」と書かれており、この付近は松平氏、今川氏の第一線であって常に攻防が繰り返されていたのです。

       みと歴史散歩❸音羽川の周縁 平成12年2月発行より