曹洞宗に属し、山号を円通山、または楠の老木があるので、礼樹山ともいい、本山は東漸寺です。開山は、東漸寺6世長翁安盛和尚で、中村存毛という人が、慶長元年(1596)に開基したと伝えられ、本尊は観世音菩薩です。
本堂には、千体地蔵が祀られています。これは、昭和の初年頃、中村十郎、中村和一氏等の檀家が発起人となり、檀信徒こぞって、親戚、知己等を訪ね、地蔵様1体につき、金壱円の喜捨を集めました。近隣市町村はもとより、岡崎、名古屋、岐阜等、41市町村へまで足を運びました。本堂内の床上に8段の壇上に並べられています。地蔵様は、素朴な木造ですが、上が赤、下が青の納衣に、簡単な模様の金色の袈裟をまとい、左手に宝珠、右手に錫杖の立姿で、千体がずらりと並んでいます。ひたすらな庶民の願いが伝わってくる群像です。
境内は墓地を除くと250坪くらいで、狭いのですが、庚申様、金刀比羅社、蚕玉社、行者様、西国三十三所観音像、馬頭観音像、秋葉堂などが並び、信仰の深さを語りかけています。
観音寺の大楠(町指定天然記念物)
当寺の記録によると、昭和9年3月に、県の係官であった小栗鉄次郎氏が調査をしています。その報告には、目通り8.3m、根回15.09m、地上より第1枝りまで5.15m、樹高約18.18m、東西南北の枝張りは各20mと記されてりいます。白河天皇の承暦年中(1077~)に住僧が植えたものといわれ、900年余りにもなるわけです。400年ほど前、自然発火のため、幹の半分が焼け、寺も類焼しました。恐らく落雷の被害かと思われます。この時、樹の中から白い蛇が現われたので、「白蛇不動明王」の祠が建てられたといわれています。
昭和34年の伊勢湾台風以来、枯枝が目立ち始めましたので、樹木医の診断を受けたり、枯れた部分の切取りなどを行いましたが、樹勢はなお旺盛と見受けられます。
みと歴史散歩:❸音羽川の周縁 平成12年2月発行より