力寿の碑から北へ500mほど進むと、財賀の集落に入る。高速道路の騒音も遠くなる静かな集落を抜けるとすぐに、柿葺の大きな仁王門(国指定重要文化財)があり、ここから先が財賀寺の境内地となる。この門の中には大きな木像金剛力士立像(国指定重要文化財)があり参拝者を迎え入れ、門の背後には本堂へ向かう参道の石段が続く。
境内の中腹には、文殊堂・客殿・庫裏があり、文殊堂には平安時代の三河国司・大江定基の念持仏と伝わる文殊菩薩像が祀られている。さらに進むと本堂手前の石段の東側には、寺域内に点在する中世古墓の五輪塔や宝篋印塔が集められており、ここを過ぎると本堂に到着する。本堂は文政6(1823)年に上棟されたもので、堂内には文明15(1483)年に造営された厨子(国指定重要文化財)があり、この中に秘仏の本尊・千手観音像が安置されている。また、厨子の両脇には、千手観音に従う仏である木造観音二十八部衆(市指定有形文化財)や宝冠阿弥陀如来坐像(県指定有形文化財)が祀られている。本堂前面の西側には大師堂が、東側には鐘楼や三十三観音堂が、裏手には八所神社がある。
寺伝によれば財賀寺は、神亀年中(724~729年)に聖武天皇の勅願により行基によって開かれ、のちに弘法大師が中興したという。当初寺は「鉢形の峯」とよばれた場所にあり、その後建久年中(1190~1199年)に源頼朝が現在の本堂より2町(約220m)上の「今宮」の地に移したともいう。また鎌倉時代初期に、三河国の守護安達藤九郎盛長によって再興された、三河七御堂の一つとしてもあげられている。かつて財賀寺には100余の坊があったといい、『三河国宝飯郡誌』にも「往古ハ七堂伽藍数百ノ坊舎アリト雖ドモ応永年中二兵火ノ為メ纔力廿有余ケ院ノミ残レリト云フ」とある。これをそのまま受け入れることはできないものの、最近の中世山寺跡の調査では、財賀寺周辺の山中において、山の斜面を造成した建物跡のような平場が多くみつかり、土器や瓦などの遺物も採集されている。また文献史料からも、中世において今はない坊舎の存在がうかがえることから、かつての財賀寺は、山中に多くの坊を有する大寺院であったことが推測される。
仁王門 【国指定重要文化財】
八脚門とよばれる形式の門で、屋根は寄棟造、柿葺である。建立時期は、建物の細部の特徴から室町時代中頃とみられ、財賀寺伽藍の整備が行われた文明年間(1469~1487)頃と推定されている。この門の組物は、楼門(2階造りの門)の様式であることから、当初は楼門として計画されたと思われる。しかし建築途中で2階部分を造るのを止め、縁腰組の上に寄棟造・柿葺きの屋根をかけ、門としての体裁を整えたと考えられる。軸部や組物などに当初の部材が良く残されており、虹梁や肘木などの意匠に中世らしさを感じさせる堂々とした門である。
木造金剛力士立像 【国指定重要文化財】
天衣を腕に巻きつけ腰に太い縄状の帯を締めるのと、腰をひねらずに上体を内側に開き「く」の字形をする姿は、平安時代の金剛力士像に共通する特色で、11世紀末~12世紀初めの作と考えられる。頭部が大きく、目鼻を顔の中央に品よくまとめる表現には、一種のユーモラスな明るさがある。材はヒノキが用いられ、像高は阿行が381.0㎝ある。吽行が375.1ある。前後左右の4つの材をはぎ合わせ、これに別材を継ぎ足す手法が用いられ、寄木造完成期の技法をよく示している。
本堂内厨子 【国指定重要文化財】(見学には拝観料が必要です)
厨子とは、仏像を安置する仏具である。本堂内陣の壇上に置かれ、中に本尊の千手観音像を安置している。厨子の旧壁板の墨書から、文明15(1483)年の建立であることが分る。屋根は宝形造、柿葺きで、厨子としては大型である。端正な禅宗様の秀作で、仁王門とともに中世の建築技法を知り得る貴重なものである。
木造阿弥陀如来坐像 【県指定重要文化財】
像高88.6㎝のヒノキの寄木造で、平安時代後期の作と考えられる。国分寺の木造薬師如来坐像と良く似た造りで平安時代後期の豊川周辺地域における仏像製作の傾向を知ることができる。台座と光背はのちに製作されたもので、光背裏面の朱書きから、天文22(1553)年御油の林次郎兵衛が施主となって製作されたことが分る。もと財賀寺の末寺という極楽寺(千両町の山中にあった廃寺)本尊と伝えられる。(桜ヶ丘ミュージアムで保管・展示)
木造宝冠阿弥陀如来坐像 【県指定重要文化財】
像高87.5㎝のヒノキの寄木造で平安時代後期の作風がうかがえるが、鎌倉時代になってからの作と考えられる。阿弥陀像は偏袒右肩(着衣を向かって右肩から左脇にかける形式)とするのが通常であるが、宝冠阿弥陀像は通肩(両肩を着衣で覆う形式)で頭上に宝冠を飾る。ただし本像は現在、宝冠が失われている。宝冠阿弥陀像は天台宗の常行三昧堂の本尊形式で、全国的にも数が少なく製作年代も古い時期のもりのであり貴重である。もと財賀寺の末寺という舌根寺本尊と伝えられる
財賀寺のツガ 【市指定天然記念物】
樹高約25.5mで、市内最大のツガである。
ツガはマツ科の常緑高木で、東三河では北部に比較的多く分布するものの、豊川市を含む南部地域では少ない。境内から仰ぎ見る崖上に位置し、天高くそびえ立つ姿はひときわ美しい。
財賀寺のヒメハルゼミと生息地 【市指定天然記念物】
ヒメハルゼミは小型のセミで、集団で嗚くことで知られ、古来の照葉樹林が残る森だけに生息するものである。財賀寺の山中はビメハルゼミが生育する自然環檄に恵まれた場所であり、夏の時期に訪れるとその嗚き声を聞くことができる。
豊川の歴史散歩:❺三河天平の里から財賀・萩の山あいを行く 平成25年10月発行より