伊知多神社の西約450mに、高さ約100mの飯盛山があり、その北側に城山とよばれる低い小山がある。
この城山一帯が野口城跡で、山頂部を中心に曲輪・土塁・掘切などが良好な状態で残っている。
『三河国二葉松』(元文五年に佐野知尭がまとめた三河国の地誌)などによれば、細川教春・板倉主水・印宮甚蔵らがこの城にいたとされるが、それを実際に示す史料は知られておらず、野口城の歴史的なことは不明な点が多い。また、野口町に隣接する市田町青木に野口城の大手門、野口町内に板屋塚・馬上塚・白髭塚・青木塚とよばれる野口城落城の時の戦死者を葬った塚があったというが、これについてもよく分かっていない。
城跡は山中にあり、道はありません。
豊川の歴史散歩:❺三河天平の里から財賀・萩の山あいを行く 平成25年10月発行より