小規模事業者の活躍を応援します。

御津町商工会

㉑観音山

財賀寺本堂か237-1.jpgら裏山へと向かう山道がある。この道を1㎞ほど登ると、観音山の山頂に至り、豊川市内や三河湾の景色を楽しむことができる。
昭和40(1965)年頃に、この山頂で陶器と銅板製の筒に納められた紙本朱書経(紙に朱で書かれた経)が出土したといわれている(伝観音山経塚遣物、奈良国立博物館蔵)。
このことから、観音山の山頂には経塚があったことが推定される。経塚とは、経典を土中に埋納した塚であり、藤原道長が大和国(奈良県)の金峰山山頂に築いた金峰山経塚が最古のもので、当初は経典を後世に伝えることを目的としたが、中世には現世利益や追善供養(亡くなった者に対し、その者の冥福を祈る行為)の意味が加わってくる。出土した経典の奥書から、建久8(1197)年に三河国中条郷(豊川市南部一帯)で書写されたことがわかる。

   豊川の歴史散歩:❺三河天平の里から財賀・萩の山あいを行く 平成25年10月発行より