松永寺を出て北へ進み、白川にかかる天王橋を渡ると左手の山麓に伊知多神社が見える。
神社の始まりについてはよく分かっていないが、神社に残る最も古い棟札には嘉暦2(1327)年に修復されたことが記されており、少なくとも鎌倉時代には存在していたようである。祭神の一っとして郡明神が祀られているが、社伝によれば、5・6世紀頃に東三河地方を治めていた豪族である穂国造が、鎮守神として祀ったのが始まりで、その後、穂国造から宝飯郡司(古代の行政区分である宝飯郡を治めた役人)に引き継がれて祀られたという。これらのことから、郡明神のある市田町付近に、古代の宝飯郡を治めた役所である郡衙の遺跡があるのではないかという説もある。
伊知多神社遺跡
昭和61(1986)年に行われた、伊知多神社南側の擁壁建設工事の際に発見された遺跡である。工事の際に大量の瓦が山麓の斜面から出土し、その付近に建物跡が存在したと考えられる。瓦の他に、塔の頂部の飾りである緑釉陶製水煙の破片や仏画陶片が出土したことから、この遣跡は寺院跡と考えられている。ただし、遺跡は山麓部に位置しており、多くの建物を配置できる地形ではないため、七堂伽藍を備えたような寺院ではないと考えられる。出士した軒瓦の文様から、創建時期は8世紀前半頃と推定される。
豊川の歴史散歩:❺三河天平の里から財賀・萩の山あいを行く 平成25年10月発行より