三河国分寺跡の史跡指定地内には、曹洞宗寺院の国分寺がある。この寺院は、奈良時代に創建された三河国分寺が現在まで続いたものではなく、16世紀初頭に西明寺の機外和尚が、三河国分寺の跡地に再興した寺院である。国指定重要文化財の銅鐘(平安時代初頭)や県指定有形文化財の木造薬師如来坐像を所蔵している。
銅鐘 【国指定重要文化財】
国分寺境内にある銅鐘は、東大寺・讃岐国分寺の鐘とともに数少ない国分寺関係の銅鐘である。国分寺あるいは国分尼寺で使用されたものと考えられ、大きさは高さが137.9㎝、口径が82.1㎝あり、その形態から製作時期は平安時代初頭と推定されている。竜頭(鐘の1番上の吊り手の部分)の形が東大寺の鐘とよく似ており、東大寺の鐘を製作したエ人が、三河の地に出向いて製作した可能性も指摘されている。
木造薬師如来坐像 【県指定有形文化財】(見学できません)
像高87.8㎝の寄木造で、元は西隣りの八幡宮の神宮寺にあったものだが、明治の廃仏毀釈の際に国分寺に移された。穏やかな顔の表情、平らで低く流れる衣文などは、平安時代後期の穏やかで洗練された作風であるが、全体に細づくりであることから、製作時期は12世紀後半頃と思われる。
豊川の歴史散歩:❺三河天平の里から財賀・萩の山あいを行く 平成25年10月発行より