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御津町商工会

②西明寺

芭蕉旬碑より、車がやっと通れる程の道を北へ500mほど進むと、西明寺の206-2.jpg朱塗りの山門が見えてくる。門には、江戸前期の禅僧である月舟宗胡が書いた「大寳山」の額がかかっている。
寺伝によれば、平安時代の寛和年間(985~987年)に、三河国司の大江定基が六光寺を開いたのが始まりという。当初は天台宗であったが、鎌倉幕府の執権北条時頼(最明寺入道)が諸国を巡っていた際に立ち寄った縁により、最明寺に改められ曹洞宗寺院になったとされる。延徳元(1489)年には、水野駿河守によって尾張の乾坤院より太素省淳和尚を招いて再興された。永禄5(1562)年に徳川家康の東三河出陣に協力し、その際家康の命により西明寺に改めたと伝えられ、慶長8(1603)年には、家康から寺領20石を与えられた。
現在の本堂は、平成8年に再建されたもので、本堂脇の書院からは廻遊式の美しい庭園を眺めることができる。この庭園は昭和年代に造られた新しいものであるが、おおらかで山水木石の配置がよく、裏山の大宝山に連なる借景も見どころである。また境内西側の墓地には、赤坂代官の万年三左衛門頼安の供養碑をはじめ、大江定基・北条時頼・山本勘助などの碑がある。

ベルツ博士供養塔
本堂の左手前に、ベルツ博士の供養塔がある。ベルツ博士は明治政府の近代化政策によってドイツから招かれた医師で、日本近代医学の祖ともいわれる人物である。西明寺は、ベルツ博士夫人の花の父親(御油出身)の菩提寺で花と交流があり、その縁でこの供養塔は、花とベルツ博士の弟子たちにより昭和5(1930)年に建立された。供養塔の隣には、水原秋桜子がベルツ博士の業績を称えて詠んだ「菊にほふ 國に大醫の 名をとゞむ」の句碑がある。

西明寺のモッコク 【市指定天然記念物】
山門の左手前に、県下では最大のものといわれるモッコクの大木がある。樹齢約400年で、高さは約15メートルある。丈夫で長命な木ではあるが、これほど大きなものは貴重である。

   豊川の歴史散歩:❺三河天平の里から財賀・萩の山あいを行く 平成25年10月発行より