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御津町商工会

⑩三河国分寺跡

八幡宮の東に開けた土地が広がっている。この一帯は三河国分寺跡で、大正11(1922)年に国史跡の指定を受けている。学術的な価値の高い遺跡であり、現在、史跡保護を目的として、豊川市により史跡の公有地化事業が進められている。国分寺とは、聖武天皇が天平13(741)年に発した「国分寺建立の詔」により、国分尼寺とともに各国に建立された寺院で、当時流行していた疫病や天災·内乱を仏教の力で鎮めることを目的としていた。
三河国分寺跡では、長らく本格的な発掘調査が行われなかったが、昭和60~63年度、平成19~21年度に実施された発掘調査により、遺跡の様相が明らかになってきている。寺の敷地の範囲は180m四方で築地塀に囲まれ、その東寄りに南大門・金堂・講堂が南北に一直線上に並び、西寄りに塔が位置する。出土瓦の分析から主要な建物のうち塔が先行して建てられた世ようで、10世紀代以降に建物が廃絶していぎ、衰退していったようである。塔跡には礎石が2つ現存しており、往時をしのぶことができる。

国分寺北遺跡~国分寺の付属地~
国分寺跡の北に隣接する国分寺北遺跡では、平成10~22年度にかけて士地区画整理事業に伴う発掘調査が実施された。その結果、多数の建物跡・区画溝跡などが検出され、9世紀半ばから10世紀後半ばにかけて、国分寺の附属地ともよばれる寺院の維持・経営を行った施設が存在した遺跡であることが判明した。

   豊川の歴史散歩:❺三河天平の里から財賀・萩の山あいを行く 平成25年10月発行より