長沢の三尊種子板碑をあとに東海道を北西に1.2㎞進み、国道1号の関屋交差点の手前を南西に入って300m行くと、登屋ヶ根城跡がある。
登屋ヶ根城は、鎌倉時代末期に番場太郎致由が、あるいは室町時代のはじめに今川氏の一族関口刑部によって築かれたともいうが、詳しいことはよく分からない。永禄4(1561)年には、今川方の粕谷善兵衛・小原藤五郎が守っていたが、松平元康に攻められ落城したと伝えられる。城の北西には、城主の関口氏の菩提寺であったという長寛寺がかつて存在し、最近まで関口氏の子孫という人が時々墓参りに来ていた(国道1号ができる時、慶忠院が長寛寺跡に移転してきたが、現在は慶忠院も廃寺となっている)。主郭南側の堀が良好に残存しており、主郭の東南部には虎口があり、その南北の空堀は大規模で幅が10mもある。防御性の高い城であり、虎口の構造は16世紀後半に現れるものとよく似ている。東西三河のはざまにあたる長沢地区には、本城の他に長沢城跡・岩略寺城跡があるが、最も西三河に近い登屋ヶ根城は、東西三河を移動する軍勢にしばしば利用されたものと推定される。
豊川の歴史散歩:❹東海道沿いの町を行く 平成25年10月発行より