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御津町商工会

⑳正法寺

大橋屋を出て東海道を北西に50m進み、公園の角を左に入ると浄土真宗寺院の正法寺がある。
寺伝によれば、推古天皇の時代(592~628)に聖徳太子がこの地を訪れた際、赤坂上宮という場所に堂を建て、太子の像を安置したという。のちの弘仁7(816)年、京都から箱根に向かった万巻上人がこの地で亡くなり、上人の弟子たちはここに堂を建て住みついたという。これが正法寺の始まりという。鎌倉時代には、源範頼の長男・範円が寺にいたが、貞永元(1232)年に浄土真宗の開祖親鸞が関東より帰京の途中でこの地を訪れた際に弟子となり、了信坊と改名したという。この時に寺名を正法寺と改め、現在地に寺を移したという。

絹本著色釈迦如来像 【県指定有形文化財】(見学できません)
金泥で縁取られた頭光(仏像の頭部の後ろにあ光明を表す装飾)を背後にいただき、両足を前後させて立つこの像は、『愛知県史別編文化財2絵画』によれば「逆手の阿弥陀」とよばれる来迎阿弥陀像でるという。寺伝では釈迦如来とされるが、日本の阿弥陀像は鎌倉時代になると坐像から立像が主となるが、その過程でこのような通例とは左右の印相が異なる阿弥陀像もみられる。平安時代から鎌倉時代にかけ発達した技法である切金細工で作られたもので、その精巧さには目をみはるものがある。

関白草紙 【市指定有形文化財】(見学できません)
文禄4(1595)年の豊臣秀次の高野山への追放から自害、さらに一族の処刑までを描いた絵巻物で、縦35㎝、横1063.3㎝ある。秀次の菩提寺である京都の瑞泉寺には、本図とほば同じ内容の「秀次公絵巻」が所蔵されているが、人物の配置や画面構成など細かな点で違いがある。
本図は、秀次及び秀次事件に連座し処刑された者などの追善供養として、17世紀半ばまでには制作されたものと考えられる。

正法寺のワビスケ 【市指定天然記念物】
ワビスケはツバキ科の常緑樹で、12月から3月にかけて半開きの桃色の花を付ける。6本の主枝があり、これがさらに200本の枝に分かれるため、その枝張りが見事である。

正法寺のイヌマキ 【市指定天然記念物】
常緑針葉樹であるイヌマキは、主に生垣として用いられることが多い。正法寺境内にはイヌマキの古木が2本ある。

    豊川の歴史散歩:❹東海道沿いの町を行く 平成25年10月発行より