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御津町商工会

⑪東林寺

169-2.jpg御油の松並木資料館を出て東海道を北西に進む。イチビキの工場を通り過ぎて、最初の西に入る交差点をまがり70mほど行くと、浄土宗寺院の東林寺がある。
東林寺は寺伝によれば、永享年間(1429~1441)に龍月日蔵和尚により開かれ、寺の名を洞言庵といった。のちの永正年間(1504~1521)に伽藍の整備が行われ、その時に寺の名を東林寺に改めたという。
境内の墓地には、江戸時代から昭和時代にかけての町の名家や有力者が多く葬られており、東林寺が御油の中心寺院であったことがうかがわれる。

木造阿弥陀如来立像【市指定有形文化財】(見学できません)
本像は、像高98.1㎝の割矧造で、13世紀の作と推定される。鎌倉時代には快慶(運慶とともに鎌倉時代を代表する仏師)の作に代表されるように、高さ三尺(90㎝)の阿弥陀立像が多く作られるが、本像もそのような傾向の仏像である。しかし、その面持ちや深くうねる衣文などは、快慶風というよりも運慶風の特徴を示してる。

飯盛女の募
170-2.jpg飯盛女は、飯売女、食売女ともいい、宿場にいたいわゆる遊女である。その存在により宿泊客が集まり商売が繁盛するので、多くの旅籠で飯盛女を抱える慣習があった。その多くは、生計が苦しい家や年貢を納めることが固難な農家が金を借りるため、年季奉公に出した娘たちである。御油宿は遊興の宿場として知られ、多くの飯盛女がいたが、彼女らは非常に不遇な立場に置かれていた。東林寺の墓地の中央、土塀寄りの所に飯盛女の5つの墓がある。このうち4つは嘉永元(1848)年9月28日に、御油宿内の用水溜で自殺を図った飯盛女の墓であり、旅籠屋の抱え主が4人の菩提を弔い建てたものである。

    豊川の歴史散歩:❹東海道沿いの町を行く 平成25年10月発行より