小規模事業者の活躍を応援します。

御津町商工会

⑰宮路山

宮道天神社をあとに登山道を約1.5㎞登ると、宮路山の山頂にたどりつく。
宮路山は古くから紅葉の名所として知られ、春秋の行楽シーズンには、ハイキングなどの行楽客でにぎわう。三河湾国定公園の一部でもあり、標高362mの山頂からは、三河湾や東三河平野を眺めることができる。山頂にある宮路山聖跡碑は、大宝2(702)年に三河を行幸した持統上皇がこの地を訪れたと伝えられることを顕彰して建てられたものである。大正天皇の即位の記念事業として、大正5(1916)年に当時の赤坂町により建設され、高さは2.7mある。それを支える重さ約3400㎏の台石は「弾琴石」とよばれ、もとは宮路山中の大沢というところにあったという自然石である。平安時代末期の公卿で尾張に配流された藤原師長が、宮路山に立ち寄った際に、この石の上で琵琶を弾いたと伝えらることからその名がある。

歌に詠まれた宮路山
宮路山は、古くから三河の名所として知られていたことが、都の貴族らが詠んだ歌にでてくることから分かる。「躬恒集」(「古今和歌集」の撰者で、三六歌仙の1人として著名な凡河内躬恒の歌集。平安時代中期成立)に、藤原定方の三河国司赴任の送別の宴で読まれた歌として、「なにしおはばとほからねどもみやぢやま これをたむけのぬさにせよきみ」がある。この歌は、「あなたの赴任される三河の国の宮路山が、宮殿に通う路という名を背負っているのなら遠いところとは思いませんが、これを道中の安全を神に析る時の供え物にして下さい」という意味で、当時の都の貴族が三河の名所として宮路山を意識していたことがうかがえる。また、更級日記(菅原孝標女が平安時代中頃に著した自らの回想録)には、「あらしこそ吹きこざりけれ宮路山まだもみじ葉のちらで残れる」の歌が記されており、宮路山が平安時代より紅葉の名所であったことも分かる。

宮路山コアブラッツジ自生地 【市指定天然記念物】
宮路山は古くから紅葉の名所として名高いが、かえでの木がたくさんあるのではなく、コアブラッツジの紅葉である。この木は高さ3mほどの落葉樹で、春は新緑が美しく、つりがね形の白い花が咲き、秋には葉が黄色から徐々に紅葉して赤くなる。頂上近くの北斜面に最も多く群生しており、もみじ観覧所付近からの眺めが最もよい。またこの付近には、枝ぶりのよい赤松もあり、紅葉と調和していっそうの風情を添えている。

    豊川の歴史散歩:❹東海道沿いの町を行く 平成25年10月発行より