音羽生涯学習会館をあとに東海道を北西に250m進むと、右手に烏居がみえる。この鳥居をくぐって東に行くと杉森八幡社がある。
杉森八幡社は、持統上皇の三河行幸の時に勧請された神明宮及び八幡宮の二社を合祀したものと伝えられる。10月の第2日曜日に行われる祭礼では、余興として参勤交代の様子を再現した大名行列が行われにぎわいをみせる。
赤坂の舞台 【市指定有形民俗文化財】
御油の海音寺(現在地不明)の脇にあった舞台では、江戸時代以降宿場町の人々による芸能が盛んであった。しかし、明治時代初め頃に舞台が大風で倒壊してしまい、同好者らの公演の場が失れてしまった。その後、舞台再建の声が高まり、赤坂の人々らにより建設されたのがこの赤坂の舞台で、明治5(1872)年に舞台開きをしたと伝えられる。主に杉森八幡社の祭礼での奉納歌舞伎公演の場として使用され、公演時には常設の客席がないため、小屋掛けとよばれる竹と丸太を用いてドーム状の屋根を形づくった特設の客席が設けられた。赤坂地区では、戦後の社会情勢の変化の中、祭礼での歌舞伎公演は途絶えてしまったが、現在、市教育委員会により年に1回(10月頃)伝統芸能の公演事業が開催されている。
杉森八幡社のクスノキ 【市指定天然記念物】
拝殿の向かって左側にある2本で、根株が1体化し2本に成長していることから夫婦楠ともよばれている。樹齢約1000年ともいわれ、樹勢は盛んで、樹高も高く立派な木である。
豊川の歴史散歩:❹東海道沿いの町を行く 平成25年10月発行より