長福寺を出て、音羽福祉保健センター方面に350mほど行くと、右手に宮道天神社がある。ここにある建物は、元禄8(1695)年に再建された拝殿で、本殿は宮路山の山頂近くの嶽ヶ城とよばれる場所にある。
祭神は建具(貝)児王、草壁皇子、大山咋神の三神である。建具(貝)児王は日本武尊の息子で、この地を与えられたといい、草壁皇子は壬申の乱の時にこの地に城を構えたとも伝えられる。明治の初め頃までは嶽明神とよばれ、雨乞いの神社としても知られ、以下の話が伝えられている。
今から300年くらい前のこと、この年の夏はどういうわけか少しも雨が降らず、川もすっかり干上がってしまった。神官の金澤惣右衛門は、なんとかしようと嶽明神に祈願したが、一向に雨の降る気配がなかった。
そこで、百万遍の大念仏を修め、再び嶽明神に祈願したところ、雨雲が湧きあがりあっという間に雨が降り出した。村人は大変喜んだが、惣右衛門は大雨に流され、二度と山から帰ってくることはなかった。
以来、雨が降った旧暦7月20日を祭礼日と定以め、雨乞い祭を行うことになったという。雨乞い祭の行列では、神輿の両側で小笹を持った子どもたちが「雨が降っちゃあ そうそうや」と唱えると、神輿を担いだ大人たちが「そうえんどうの大ねんぶつ」と応えながら進んでいく。これは、「雨が早々に降った」「惣右衛門殿の大念仏のおかげだ」というような意味かと思われる。また、昭和60(1985)年8月に、神輿を納める宝物殿を建てるため山を切り崩したところ、水が湧き出し今も涸れることがない。惣右衛門の願いが今も生き続けているのであろうか。
豊川の歴史散歩:❹東海道沿いの町を行く 平成25年10月発行より