海元寺の裏手には、引馬神社のかつての神官石黒家の屋敷があり、その入口には西郡の城門が移され、㊀の常紋入りの瓦が見られました。移築の事情は定かでありませんが、平成3年には蒲郡市の懇望によって再び同市博物館東入口に移されました。
この石黒家に四歳で養子に入り、天保10年(1839)14歳で寺子屋を開いたのが鎮周翁です。翁は上佐脇村羽田野家に生まれ、神官石黒長門に養われ、長じて下佐脇村長松寺の淑叢和尚、幡豆長縄村の石原広奄などに学び、後に羽田野敬雄に入門しました。
これらの経歴から没年に至るまでの事蹟を伝える顕彰碑が、火の見櫓下にあります。
碑は門人・有志の奔走により、石川鴻斎の撰文、桂太郎の題字を得て明治29年に建てられました。
寺子屋桃廼舎
翁の筆になる『筆子入門帳』や『織女祭歌人数帳』が残されていて、寺子屋の姿をよく伝えます。
なお、この碑の前の広場をジュウオウと呼ぶのは、かつて十王堂があったからです。また碑の脇の道が南に突き当たる丁字路にあった道標が、今は引馬神社境内に移されています。この辻から20mほど国道寄りに石黒小市の碑があります。平井村から養子に入り社寺建築に名を得、村政にも尽くした人物です。
みと歴史散歩:❹湊と引馬の里 平成12年2月発行より