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御津町商工会

⑭ 今泉医院 *鈴木忠兵衛屋敷跡

168.jpg入覚寺の筋向かいに、左右対称の洋風建築があり、人目を惹きます。昭和初期の造作ですが、今も狂いが出ていないとのことです。木造モルタル塗りでやや急勾配の屋根に桟瓦を葺き、正面玄関部の上に2階の開口部とバルコニーを設けています。町内に類のない、整った洋風建築の作例として貴重とすべきでしょう。なお、前の院長今泉忠男は御津磯夫の筆名で歌誌「三河アララギ」を主宰し、歌集数冊のほか歌碑も町内外に数基建てられています。
この今泉医院の広い敷地は、幕末には三河一の身上と謳われた鈴木忠兵衛家の屋敷跡です。その祖先は山本勘助に兵法を授けたという鈴木日向守重教で本拠の寺部城(豊田市)が落城後、その子監物が萩(現音羽町)に帰農し、次の代の忠右衛門が次男の善九郎とともに御馬村に移住したと伝えられます。
この鈴木家は元禄のころ酒造業を始め、明和年間(1764~)には廻船問屋を営み、財力を蓄えました。文化7年(1810)没の忠兵衛は鈴木家が御馬に移住して4代目の当主で、木蘭と号し天明期(1781)に御馬湊に興った俳諧結社の軸となりました。
寛政期(1789~)には馬江連と改めた社中を率いる一方、狂歌もよくし、同11年刊の江戸狂歌集『東遊』に、当地の同好者3名と入集しています。追善集『はくれむけ(白蓮華)』が刊行されました。

       みと歴史散歩❹湊と引馬の里 平成12年2月発行より