豊川海軍工廠跡地より南に600m行くと、名鉄諏訪町駅がある。そして線路沿いに西へ600m進むと、左手に「豊川海軍工廠諏訪慰霊碑」の看板が人口にある通路が見えてくる。ここを中に入っていくと、多くの慰霊碑等が立ち並んでいるが、これらは昭和20(1945)年8月7日の空襲で犠牲となった方々を供養したものである。海軍工廠の部署別、学徒動員を行った学校、個人のものなど約30基が存在し、ともに働いた同僚を弔う気持ちや、父母により建立されたものからは、子を思う気持ちが伝わってくる。
豊川の歴史散歩:❷豊川の町から牛久保の町へ 平成25年10月発行より