神明社をあと再び牟呂用水沿い1.2㎞下流にむと、大坂神社の入口がある。この神社は、照山の東のふもとに位置し、鳥居の先にある数十段の石段を登りきると、社殿前の広場に出る。
大坂神社は、かつて神ノ木という所にあったが、豊川の水害のため現在地に移転したという言い伝えがある。その神社名は『三河国神名帳』(三河国内の神社の神名・神階をまとめたもの)にある大坂天神から続くと考えられ、由緒ある神社である。
富安風生句碑
神社入口の標柱の右手に、富安風生(1885~1979年)が詠んだ「里川の若木の花もなつかしく」の句碑がある。風生は旧八名郡金沢村の生れで、東京帝国大学(現東京大学)を卒業したのち逓信省に入省した。34歳の時に俳句を始め、翌年から高浜虚子(明治から昭和の俳人・小説家)の教えを受けホトトギス派の俳人となり、53歳の時に逓信省を退官した。退官後は余裕をもって俳句にいそしみ、俳句の取り組み方の大衆的な典型とされる人物である。また、大坂神社には、風生が大学卒業後に父親と共同で描いたという「松に鷹」の絵が所蔵されている。
豊川の歴史散歩:❶豊川沿いを行く 平成25年10月発行より