江島神社をあとに南東に進み、金沢岡下の信号交差点を東に入る。150mほど先の牟呂用水にかかる橋の手前を用水沿いに南へまがり、長慶禅寺の南角を東に入る。坂道を200mほど行くと金沢墓園があり、その北側を尾根づたいに登っていくと、旗頭山尾根古墳群がある。
この古墳群の特徴は、石で墳丘を造る積石塚古墳からなるところにあり、吉祥山からのびる丘陵の尾根上に古墳が点在している。古墳の墳丘は、土で盛って造るのが一般的であるため、積石塚古墳は大変珍しい古墳である。全国でも山口県・広島県・香川県など瀬戸内海地域や長野県・山梨県な限られた地域しかみられず、朝鮮半島や中国遼寧省にみられる墳墓と関係のある特殊な古墳ともいわれる。かつて40基の古墳が存在したが、現在、県の史跡指定を受けた1~24号墳が残っている。
19号墳ほか数基が、昭和27(1952)年頃に明治大学によって発掘調査が行われており、昭和51(1976)年には愛知県教育委員会が、1~32号墳までの範囲で測量調査を実施した。また、昭和52(1977)年には26.30・31号墳が、新城市と一宮町教育委員会により発掘調査された。19号墳を除く全てが円墳であるが、積石塚古墳であるためか楕円形となるものが多く、長径で4mに満たないものから、13mに及ぶものまである。19号墳は双円墳で、長径で16.4mある。これらの古墳が造られた時期は、6世紀後半から7世紀初めと考えられている。
豊川の歴史散歩:❶豊川沿いを行く 平成25年10月発行より