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牧野城跡を出て、南に500mほど行くと、さぬき屋敷公園がある。 牧野成時(古白)の長男とされる能成は、今橋城築城によって牧野城が廃城になった時、城の南に屋敷を造って移り住んだという。その子孫は明治の頃までその場所に住み続け、その屋敷はいつの頃からか讃岐屋敷とよばれるようになった。この公園は、その屋敷の跡地に設けられたものである。 公園の東端にある門の建物は、讃岐屋敷の門で、鳳来寺(新城市)から移築したものと伝えられる。讃岐屋敷とよばれるのは、牧野氏の先祖が四国の讃岐から来往したと伝わることによるのであろう。 豊川の歴史散歩:❶豊川沿いを行く 平成25年10月発行より